気まぐれ雨模様

思考の整理 過去の記憶 不安の吐き出し 暗い集合体

夢から醒めてもあなたは見えない

生理終わりかけ。5日目。また生理後の精神不調がやってきた。生理後のキラキラ期なんてものはない。

 

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生理後は妙に眠くなる。まあ生理前もそうなんだけど、生理後の眠気はより耐えられないものだ。電車の中でああこれはまずいと思って、夜ごはんは松屋で済ませた。ささっと食事を済ませて家に帰り、気づけば眠っていた。深夜2時に起きた。それも夢を見て目を醒させられた状態で、かなりバッドだった。

嫌な夢を見た。現実味のある、嫌な夢だった。私の何気ない会話から、実は脳原性のとある障害を持っているのだと知人にカミングアウトされると、それから妙に嫌なことが連続して起こり続ける夢だった。友人関係の嫌なこと、仕事関係の嫌なこと、家関係の嫌なこと、……嫌なことを繰り返して非常に嫌な気持ちになって起きた。最初は夢だと気づかなかった。

起きた後のメンタルが元に戻ることはなく、多分6時頃に再び眠りにつけたと思う。空は明るかった。明日が嫌だ、人生が嫌だ、死にたいなって思っていた。希死念慮だ。ずっと薄ら死にたい。

将来のことを考える。確かに、誰かが隣にいて、泣いている自分にハンカチを差し出してくれるような人と過ごすことができたら、それは幸福なことだろうなと思う。でもそんな人は存在しない。自分の家族を回想する。すぐに思い出せる嫌な思い出。最悪の記憶。最悪の一言だ。結婚は博打だ。他人に人生を任せられるか?私は無理だ。帰る場所がないのに。だから出産子育てなんてもっと無理だ。私の幼少期の記憶には、昔は意味がわからなかったけど、大人になってから思い出してやっと意味がわかるようになったことが多い。

とある冬のことだ。母がパンを焼いてくれた。シチューとパンをお昼ごはんに食べた。私はシチューが大好物だったので嬉しかったのだけど、シチューを振る舞った母はなぜか私たちに謝った。「ごめんね」と言った。

その時は意味が分からなかったのだけど、今思い出せば、家に1台しかないストーブを父親が自分の部屋に持ち込んでしまったのだ。ストーブを持ち込んで、自分の部屋でストⅡをやっていた。だから母は温かい料理を出して子どもに謝った。

私の家族の記憶って大概がこんな感じだ。無理無理。そんなの無理だよ。どうにもならない。ひとりで苦しい時はあるけど、ふたりでいるのに自分だけが苦しいほうが苦しみは倍だから。ひとり分の苦しみですらこの希死念慮なのに、そんなのは耐えられない