気まぐれ雨模様

思考の整理 過去の記憶 不安の吐き出し 暗い集合体

返事は届かない ここにいるのに

また身体の火照りが始まった。気がする。早くない?生理前のやつ?早すぎますよ。単に暑いだけ?これじゃあ調子のいい期間ゼロじゃないですか。せめて今週はやめてほしい。遠出するから。

 

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台風がきているらしい。今のところ自分の遠出時には関係ないからありがたい。そのかわりに今日明日がめんどくさそうな気配。なんとか神回避したいところ。うーん。でもあのメンバーラインナップじゃあ完全に私が追加の待機要員に感じになりそうで嫌だな。左から年下、新婚、多忙……。いや別に1日くらいいいんだけどさ。いいけど面倒だから嫌。結婚しないのは自由意志だけど別に周囲の便利遣いになるために独身してるわけじゃないから。考えすぎか。やっぱり生理前かも。あくびが止まらない。7時間は途中覚醒なしで眠ったのに。

 

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やっぱりお盆期間は電車が空いてますね。そこだけは快適。暴れる子どもがいなければ。正直子どもは苦手。可愛いって思うけど、でも苦手でもある。もう完全にこれは内面の問題だからどうしようもない。

 

幼少期の私はとても大人しい子どもだったらしい。その代わり年に1.2度くらいに病気か?というくらいに泣き叫ぶ子どもだったらしい。てんかんの疑いで病院に連れて行こうと思ったくらいに火がつくと泣き止まない、でも普段は大人しい、そんな子どもだったらしい。

さらに可愛げがなかった。両親が離婚するかもしれないという話のときに大人の囲っているテーブルから離れて1人遊びをしていたいい子だったらしいが、話が終わったよと構いにきてくれた祖母を「ママたちがしてるのはお金の話でしょ?」といって驚かせたらしい。祖母が生きているのでこの時点で推定4歳。本当に可愛げのないガキだ。

ほどなくして両親は離婚した。私は母の実家に帰った。その頃には祖母は亡くなっていたので祖父、母、私、弟、という構成になった。そしてこの頃(正直このあたりの時系列はまったく自信がない)弟が病気になりなんと入院することになった。当時の弟は未就学児。つまり親の付き添いが必須となる。

母は自分自身が癌の闘病中だった。しかし付き添いは必要である。主に母が付き添って、母の通院時は祖父が付き添うような体制だった気がする。診断を受けた時、私は母と診察室にいた。入院が必要です、と医者に言われた時、母が泣いていた。それはとても覚えている。

しかし弟は私と正反対で多動なタイプだった。言うことは聞かないし、落ち着きもなく、よく騒いだ。そんな弟の入院だったからとても苦労したと思う。私としては母と一緒にいた時間がただでさえ少ないところに、弟の入院。まあ羨んだ。年長〜小学校入学くらいの頃の話だし、よく病気のことがわからなかったのもその「いいな」を助長したんだと思う。

でも時折母を独り占めできるタイミングはとても大切な時間だった。ただ一緒に母と眠ったはずなのに朝起きたら祖父に変わっていることもあった。病状の悪化で、夜間に病院へ向かっていたのだ。あれ以上にショックを受けたことっていうのは、今でもないかもしれない。

もう書き切れないけど色々あった幼少期だった。だから弟のような子どもは苦手だ。公共の場で騒いだり、暴れたりする子ども。その場の都合を考えられない子どもは、むかしの私がなりたくてもなれなかった子どもだからだと思う。察することを必要としない、っていうのは、自分で考えなくてもよい、ということだから。

母はいつも私を宝物だと言ってくれた。でもそれは常に弟とセットだった。私と弟が宝物だった。私は親になったことがないからわからないけれど、一般的にはどんな子どもでも、親にとって子は宝物なのだろうと思う。それは子ども自身の素行はあまり関係なかった。私はずっとそれに気づかなかった。いい子にしていたら、幼い頃の私は、いつか私も母を独り占めできる時間がくるのだと思っていた。でもそれは叶わなかった。誰も悪くないし、仕方のないことだけど。

 

良い人間でありつづける意味を今でも考えることがある。良き人間であり続けることの意味も、理由も、今の私にはあんまりない。社会の中でも、生活の上でも、道徳観や倫理観をもって過ごすことの理由って何だろう。

自分は思考がネガティブなほうだから、「なんとなく安心」っていうのが理由かもしれない。なんとなくだけど、「良い」ほうが良いだろうっていう、それくらいぼんやりしたものだ。あるいは、母の言いつけを、今でもぼんやりと守っているくらいの心持ちだ。良い子でいてねって言われたから、良い子であろうとしている。それだけだ。もう良くあり続ける理由もないのに。