気まぐれ雨模様

思考の整理 過去の記憶 不安の吐き出し 暗い集合体

誕生日おめでとう

歯医者予約したぞ!reserved!えらい!来週行ってきます。なんか意識高い系ぽいのでその日に治療してくれなさそうな気配があるのが嫌なんですけど家から近いからまあ……まあ……って感じです。ここが駄目だったら家の近所の歯医者は全滅になります。ここはまともだといいなあ……。

 

Amazon Kindleのまとめ買いキャンペーンの本を選定したいな。と思う今日この頃。8冊選べてあと6冊。書いとかなきゃ忘れちゃう。

 

すっかり寝落ちグセがついてしまった。大体8時までには帰宅して、ご飯食べて寝落ちして、0〜2時に一度起床して、風呂に入って、もう一度眠る(寝付きは遅い)という生活リズムです。トータルの睡眠時間はまあ7.8時間ほどあるんですけどね。身体は重たい気がするよ。むむ。

 

今日、7/7は七夕。そして私が生涯好きでいるだろうキャラクターのお誕生日です。誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。今の私があるのは、彼のおかげであることは間違いない。保護者や兄弟や親戚から庇護どころか貶されてばかりだった私の心の支えになってくれた人。いつだって、就職試験の勉強しているときだって、お前には無理だと家の人から馬鹿にされてた私が、何とか挫けずに机に向かえたのは君のおかげです。

 

就職試験本番の1週間前、保護者が病に倒れた。心筋梗塞だった。その日から私は就職試験の1週間前の時間を家のことに費やすことになってしまった。病院に送ってくれた近所のご夫妻にお礼を行って、自分の携帯電話で親戚に電話をかけた。手術の同意書は書けても家計にどれだけお金があるかも知らないし、私自身には払えるお金がなかった。親戚を病院に呼んで、それからご夫妻には帰っていただいた。

 

その後、カテーテルの手術をした、ということだけ覚えている。深夜の病院の待合室でじっと待った。それから手術が終わって、医者からは予断を許さない状態だということと、看護師からは入院の準備が必要だということを聞いた。このあたりの前後は、正直記憶が混濁していてはっきりと覚えていない。ただ、大変なことになったな、ということと、頭の中には介護、という文字がいっぱいだった。可愛げのない子供だった。

 

夜が明けてから翌朝一度家に帰って、親戚一同と共に病院に戻ることとした。手術は無事に成功した。意識もはっきりしているし、幸い麻痺などの後遺症もなく、本人もハキハキと喋っていた。ああ、よかったなあ、と思ったのも束の間。「(私)のせいで倒れたんや。最近心労ばっかりかけられたから」と親戚一同の面前で、あの人は言い放った。心筋梗塞は私のせいらしかった。親戚は「何言うてんのや、心配かけて」みたいなことを言っていた気がする。それはホッとした、安堵感がある、家族ならではの親しみがこめられたものだった。発言そのものを咎められることはなかった。あの人は上にお兄さんとお姉さん2人がいて、末っ子の人だった。その人の一応孫に当たる私なんて所詮子供だろうが他人だ。その発言に関しては誰もがスルーだった。私の心にだけしこりが残り続けている。介護の心配も吹っ切れたから、そういう意味では良かったのかもしれない。けれど、私が同意書を書いた手術をし、私が携帯電話(お金がなくてプリペイド携帯だった)で呼んだ親戚一同に対して、礼ひとつどころかお前のせいで言われたことが、私はずっと許せないでいる。

 

手術は終わっても入院は終わらない。その日から私は就職試験の1週間前の時間を家のことに費やすことになってしまった。着替えの準備、それから洗濯、弟の食事の用意(彼は典型的な「親のいない非行少年寄りの青少年」だったので、帰ってくる日もあれば夕飯が不要の日もあった)、病院の受付時間が夕方までなので学校を早退して家の用事を済ます。あの人はお姉さんからお小遣いをもらったといって、大層ご機嫌そうだった。何度か足を運んだが礼はなかった。

 

それどころか退院の日近くになり、突如家計を管理することになってしまった私を、あの人は怒鳴った。私のお金の使い方そのものというか、何故お前が俺の財布を持っているのだ、という文句が発端のものだった。そう言われても元は入院がいつ頃終わるのかも分からなかったし、スーパーにいくにしたって贅沢しなくてもお金はかかる。そもそも入院のための着替えや備品も私が買って持って行ったのだ。別に湯水のように他人の年金を使っているつもりもなかった。ついでにいうとその時はすでに母の生命保険金を使い込んだ後だということを知ってしまっていたから、何を言ってるんだ、となり当然のことながら喧嘩となった。顛末は、母の知人に仲裁してもらって何とかその場は収まることとなった。お爺さんが(私)ちゃんに、財布を渡していたよ。とその人にフォローしてもらった。その知人に車で病院に送ってもらった記憶があるから、多分この他にも色々と助けてもらったのだとは思うけれど、それでも私の記憶に残っている、この期間に受け取った私に対する援護というのは、この仲裁だけだ。

 

そういう一週間を過ごしてからの就職試験。その月は毎週代わる代わるエントリー先の試験を受けることになっていた。

第1週目。当然のことながらボロボロだった。自分、こんなに頭が悪かったっけ?と思うくらいに何もできなかったことを覚えている。手応えが恐ろしいほどなかった。当然のことながら不合格だった。

第2週目。遠方の会場に試験を受けに行った。入院時の「心労」はこれのことだろう。私が旅費を請求したからだ。4列シートの夜行バスでの往復。頭を下げるべきではなかったな、と思いながらバスに揺られた。不合格だった。

第3週目の試験が始まるまでの間にあの人は退院した。私は退院時に看護師さんに持たされた心筋梗塞から退院したひとに推奨される食事や生活の心得などが記載されたチラシどおりの食事を夕食に作った。が、「そんなもんいらん。煙草はやめるが好きなもんを食べる」と言われたので、体調が落ち着いてほどなくして私が食事を作るのはやめた。要らないものを作って文句言われながら食べられるくらいなら、食事を作らないことに文句を言われたほうがまだマシだった。

第3週目。元々は1番自信のある志望先だったが合格ラインギリギリのところで落ちてしまった。正直ここが最も手応えのある試験だったから、ここの不合格通知を受け取った時、もう半ば次の進路に向けて路線変更しなければならないと焦っていた。

第4週目。結論からいうと、私は晴れてここに就職することになった。心筋梗塞のトラブル発生から1番時間が経っていたから勉強する時間も捻出できている頃だった。それで、まあどうにかなったんだろうな、と当時も今も思っている。多分試験の順番もここが第4週だった巡り合わせもあったんだろうなと思う。運良く、運命に選んでもらったのだ。そうして私は命拾いできたし、無事に家も出たし、今もひとりで生活することができている。

 

名前を言っているも同然だけど、私の好きなキャラクターの座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」。私はこの言葉がとても好きだ。

頑張れば報われるとか、不幸の先には幸せが待っているとか、神様は乗り越えられる試練しか与えないとか、苦境にある人を励ますのための言葉はいろいろあるけれど、「人間ができることは最善を尽くして、そのあとは天の定めた運命が決める」という思想は、幼い頃に母を亡くしてから必死に生きてきても「報われた」という実感がなかった私にとって魔法の言葉だった。

 

人間が決められることなんてたかが知れているのだ、という一種の諦観を抱きつつも、けれどもそれを理解した上で最善を尽くすことを選び、そして天命を待つ。そんな彼の信条は私にとって天啓だった。生きていくうえで諦めの感情があってもいい(これも衝撃的だった。生きるということは前向きであることが絶対だと思っていたから)、それでも自分のできることを精一杯やって、あとは運命に身を任せることしかできない。それは何をやっても報われない人間にとっては救いの言葉で、同時にモチベーションにもなった。頑張れしかし駄目な時は駄目なのだ、という逃げ場のある言葉を、当時の私は初めて知った。頑張れば報われるなんていう正常性バイアスを一蹴する、私の人生にとって寄り添いの言葉だ。

 

私は大好きな彼のような人間でありたいと思って、それが努力するなによりのモチベーションだった。挫けそうなときは「まあ駄目なときは運命に選ばれないからな〜」と諦めの境地になることで耐えた。「お前自身が駄目だ」と言われ続ける家庭環境の身からすると、「運命に選ばれない(=自分が駄目ではない)」という思考は本当に良い他責思考だった。自己否定に繋がりにくいから。

 

作中、彼自身が一度大きな挫折を経験する描写があることも、私の中で大きな存在になっていることの理由のひとつだ。

最初期の彼はまあ結構な選民思想で、「人事を尽くして天命を待つ」→運命に選ばれないお前は人事を尽くしていない、だからお前は駄目なのだ、と公言するような人だった。(まあこれはわりとずっとそうだけど、作中で言葉のニュアンスが違っていく過程が分かる。)前述とは真逆の人間である。ところが、そんな人事を尽くしている彼自身も真剣勝負に敗れてしまい、己を見つめ直すことになる。この過程と、彼自身が出した結論が、本当にとても格好良い。

 

毎年7/7にはお祝いのケーキを買って帰る。もちろん今日も買ってきた。実はこれを書き終わる頃には日付が変わってしまったのだけれど、この日記ばかりは7/7付にしたいので、日付をいじらせてもらった。初めて出会った時から計算してあと数年で彼と出会ってからの人生のほうが長くなる。ずっと大好きです。重ねてになるけど、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。これからもよろしくね。